日経平均株価史上最高値更新 バブル期と違い 実感なき株高…4万円台も見えてきた 22日の東京株式市場で日経平均株価がバブル経済の当時につけた史上最高値を34年ぶりに更新した。 海外投資家の買いを原動力に年初からの上げ幅は5600円超に達した。 企業体質の改善などファンダメンタルズに裏付けされた株高、との見方がある一方、投機的な買いで押し上げられている側面も意識される。 物色対象が一部の大型株に集中していることから「脆さ」も見え隠れしている。
最高値の節目を上抜けたことで、短期的には達成感から利益確定の売りが優勢になりやすいとの見方もくすぶる。25日移動平均線からの乖離率は過熱感が意識される5%を上回る6.0%で、調整はいつあってもおかしくないとみられている。 一方、足元の株価は、バブル経済を背景にした前回高値の当時とは「質」の面で異なった株高だとの評価もある。「短期的な調整はあるとしても、最高値を更新したことだけで、行き過ぎと判断するのは中長期の目線からは短絡的だ」とニッセイ基礎研究所の井出真吾チーフ株式ストラテジストは指摘する。 この34年で日本市場は大きく変化してきた。最も変わったのは、外国人投資家の存在だ。1989年12月の海外勢の売買シェアは10%程度だったが、24年1月には60%程度にまで高まった。保有シェアでは、1989年の5%程度が22年には30%に膨らんだ。 メインの投資家が外国人になり、市場の評価目線も海外並みに変化してきたことが、日本株の質的変化にとって大きい要素だ。 バブル経済の当時は、土地や株価はどこまでも上昇するといった「幻想」を背景にバリュエーションという発想がなく、株価収益率(PER)などは度外視されていた。 バブル経済は、銀行が土地を担保に資金を貸して膨らませた側面がある。当時の時価総額上位10銘柄の顔ぶれは、日本興業銀行(現みずほフィナンシャルグループ)を筆頭に都銀を中心とした金融機関が大半を占めた。主体別では銀行や事業会社の保有シェアが大きく「売らない、物を言わない」株主による政策保有株の比率が高かったことも、当時の株高を支えた。 バブル崩壊後、企業の過剰な設備投資や債務、人員などが業績の重荷となって、日経平均は下落し続けた。一方、90年代後半には日本版ビッグバンなどの制度改革もあって外資系証券が存在感を増し、国内にもバリュエーションの概念が根付いてきたとの見方もある。
最高値の節目を上抜けたことで、短期的には達成感から利益確定の売りが優勢になりやすいとの見方もくすぶる。25日移動平均線からの乖離率は過熱感が意識される5%を上回る6.0%で、調整はいつあってもおかしくないとみられている。
一方、足元の株価は、バブル経済を背景にした前回高値の当時とは「質」の面で異なった株高だとの評価もある。「短期的な調整はあるとしても、最高値を更新したことだけで、行き過ぎと判断するのは中長期の目線からは短絡的だ」とニッセイ基礎研究所の井出真吾チーフ株式ストラテジストは指摘する。
この34年で日本市場は大きく変化してきた。最も変わったのは、外国人投資家の存在だ。1989年12月の海外勢の売買シェアは10%程度だったが、24年1月には60%程度にまで高まった。保有シェアでは、1989年の5%程度が22年には30%に膨らんだ。
メインの投資家が外国人になり、市場の評価目線も海外並みに変化してきたことが、日本株の質的変化にとって大きい要素だ。 バブル経済の当時は、土地や株価はどこまでも上昇するといった「幻想」を背景にバリュエーションという発想がなく、株価収益率(PER)などは度外視されていた。
バブル経済は、銀行が土地を担保に資金を貸して膨らませた側面がある。当時の時価総額上位10銘柄の顔ぶれは、日本興業銀行(現みずほフィナンシャルグループ)を筆頭に都銀を中心とした金融機関が大半を占めた。主体別では銀行や事業会社の保有シェアが大きく「売らない、物を言わない」株主による政策保有株の比率が高かったことも、当時の株高を支えた。
バブル崩壊後、企業の過剰な設備投資や債務、人員などが業績の重荷となって、日経平均は下落し続けた。一方、90年代後半には日本版ビッグバンなどの制度改革もあって外資系証券が存在感を増し、国内にもバリュエーションの概念が根付いてきたとの見方もある。