ホワイトから 歩夢の時代へ

スノーボード 平野歩夢 人類最高難度達成

歩夢は、金メダルを決めた3本目と同じルーティンを2本目で成功させていたが、91・75点と低い点が出され、その時点で2位に止まった。これが不可解判定として世界中に波紋が広がっている。

歩夢は、2本目の採点についての思いを吐露した。

「まずは僕が思っているように、周りの人も同じように思ってくれていた。僕以上にもっと怒っている人もいたり、僕だけじゃなく、今後のスノボのジャッジの基準として、しっかり今回はどこをみていたのかという説明を聞くべきだとは思いますし、競技やっている人たちは命を張って、リスク背負っている。選手のために整理させた方がいいんじゃないか」と問題提起した。

ホワイトから 歩夢の時代へ」への2件のフィードバック

  1. ショーン・ホワイトも「マジですごい滑りだった」と感嘆…ღ

    平野歩夢、不可解採点への怒りをぶつけた「ハーフパイプ史上最高のラン」
    北京冬季オリンピックで11日にあったスノーボード男子ハーフパイプ決勝で、35歳のショーン・ホワイト(米国)は4位でメダルには届かなかった。

    「絶対王者」と呼ばれ、五輪で3度の金メダルを誇るスーパースターは北京五輪を最後に引退を表明。最後の競技を終えると、新王者となった平野歩夢(23)の姿を穏やかな表情で見つめていた。

    2人は長年のライバルであり、スノーボード界を引っ張る仲間として、力を高め合ってきた。「平昌五輪ではすごいドラマのある戦いだった。今回が彼の最後の五輪なので、やり合えるのを楽しみにしている」。開幕前、平野歩はホワイトについて問われると、こう心境を語った。

     語り継がれる2人の名勝負は前回の平昌大会。平野歩が2回目の滑走で、縦2回転、横4回転の「フロントサイドダブルコーク1440」など4回転の連続技を完璧に決め、ホワイトを抜いて首位に立った。

     誰もが金メダルを確信していたが、立ちはだかったのが3回目の最後に登場したホワイトだった。平野歩と同じく4回転の連続技を決めると会場の盛り上がりは最高潮に。逆転で金メダルを手にした。当時、ホワイトは「正直、人生で一番チャレンジングな滑りだった」と振り返った。

     平野歩はホワイトを「ヒーロー」であり「チャレンジャー」と呼ぶ。スノーボード界で尊敬される存在でありながら、3度の金メダルに満足することなく、挑戦し続けるからだ。ホワイトは自らと同じようにスケートボードとの「二刀流」に挑戦し、東京五輪を目指していた。この日の決勝に出場した選手では最年長で、唯一の30代だった。平野歩は「彼がやっていることに背中を押される。すごく刺激的。僕にはできないことを先にやっている」と話す。

     最後の滑りを終えると、何人もの選手がホワイトの元へ歩み寄り、レジェンドへの感謝の気持ちを示した。銀メダルを獲得したスコット・ジェームズ(オーストラリア)もその一人で、若い頃からホワイトに憧れてきた。「常に追いかける存在だった。ショーンが私を成長させてくれて、ライバルにまでなった。一緒に滑る時間は何より最高だった」と振り返る。

  2. 平野歩夢は、新潟県村上市(人口6万人)に生まれた。

    日本海側に面して雪が多いということから、スノーボーダーになる為に、この場所を選んで生まれてきた様な気がする。

    父親は、スノーボードパークを運営、スケーティングボード連盟の理事もしている。その他、サーフィンショップ、居酒屋も経営している。平野歩夢は、地元の村上市立村上第一中学校を卒業した後、アスリートコースがある『開志国際高等学校』に入学し、日本大学へ。

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